萱アートコンペ2024 10/6~10/27

Comment by Yukie Aoyama

萱アートコンペ2023 審査講評 / カタログパンフレット掲載  
青山由貴枝 
2023/9/15

     審査会当日、会場に入ると、壁に2段掛けされた約100点の応募作品が出迎えてくれました。それぞれの作品たちは、審査員の目が自分に向くのを今か今かと待っているようでした。
     今年から審査方法が変わったこと、新しい賞を新設したことなど、実行委員や他の審査員から説明を受けた後、「はじめてください」の言葉で7人の審査員が立ち上がり、静かに作品に近づいていきました。正直なところ、私は審査方法や他の審査員達がどのように見ているのかは一切気にせず、作品との対話に集中するよう努めました。

     今回の審査会では、審査員全員が全く別の作品を大賞候補に選ぶくらい、見事に意見が割れました。
     「どの部分が良いと思った」「ここが良いと思うがここは気になる」
    1つ1つの作品について、それぞれの審査員がどんなところを見ているか、さまざまな意見交換がなされ、各賞を決めていきます。自分とは違う意見を聞きながら改めて作品を見るというやりとりを繰り返していくことで、自分の視線が動き、見え方や感じ方が変わっていきました。そのプロセスは面白くよりじっくりと作品を見ることができました。

     すばらしい作品とは、どういうものなんでしょうか。
     さまざまなつくり方の作品があり、質の良いもの(良い作品だなと感じたもの)も多くありましたが、ずば抜けたものは少なかったように感じました。ただ単に、技術が優れているから良い作品であるということではありません。作品をつくるということは、作者が自分以外の媒体を用いて、自分の見たものや感じたものを出力する行為であり、自分の分身をつくるということだと思っています。
     また、作品を見せる/伝えるためには、つくりあげたものに付属する額縁やタイトルも重要な要素になっていきます。作品をつくり終えた後、作者はその作品の最初の鑑賞者となって、一番良く見える工夫や、意図を匂わせるような仕掛けをする必要があると思います。つくって終わりにせず、「つくると「見る」を繰り返してこそ、良い作品ができるのではないでしょうか。
     作者の考えや感じたものをすべて見る/理解するのはとても難しいことですが、見る側である私たちは、作品を前にして、どうにかその見えない部分(作者が表現したいもの)を見ようとします。今回、受賞した作品たちは、技術もさることながら、その見えない部分の引力が評価されたものだと思います。

     審査会を終えて、自分の分身を一生懸命に、こんなにもたくさんの人がつくっているという事実に感動しました。作品を通して約100通りの考えや感じ方に出会えたことを、とても嬉しく思います。
     数え切れないほどの情報や新しいものとの出会いをやり過ごして生きている現代社会において、誰かの考え方や感じ方に出会うタイミングは、あまり多くありません。作品をつくるということ、作品を見るということは、とても貴重な時間であるのだと改めて考える機会となりました。