萱アートコンペ2024 審査講評 / カタログパンフレット掲載
青山由貴枝
2024/9/16
今年の萱アートコンペでは160点を超える作品が審査会場に並んでいました。これでもかというほどに並べられた作品たち。ひとつひとつの作品から湧き出るエネルギーに会場があふれかえっていました。大賞に選ばれた作品は、一見、心地良い風景画のようですが、大胆な絵の具の盛り上げや、かと思えば細かい筆致。深層心理にある風景を覗いているような不可思議な印象を受け、どの審査員からもコメントが寄せられるくらい、共通して「気になる作品」であったように思います。審査員ひとりひとりに「良い作品」の基準がありますが、受賞作品は、どれも「なにを表現しようとしたのだろう」と、審査員の間でも意見が交わされる・鑑賞行為が行われるような作品たちでした。自分の考えや想いを自分の外側に表現すること、そしてそれを見る人に伝えることはなかなか難しいことです。きれいに仕上がった作品ばかりが良い作品ではないと思います。その人なりの面白い視点や、楽しい気持ちで描いているか、それぞれの在り方で作品が出来上がっていることが大切だと思います。
実際に作品と対峙してみると、色や形、素材、作家の手仕事の跡など、画面全体から細部にいたる様々な要素から、自分ならではの表現に挑戦しようとする姿勢をみることができます。ぜひ、多くの方が、会場での作品との出会いを楽しんでいただければと思います。
萱アートコンペ2023 審査講評 / カタログパンフレット掲載
青山由貴枝
2023/9/15
今回の審査会では、審査員全員が全く別の作品を大賞候補に選ぶくらい、見事に意見が割れました。
「どの部分が良いと思った」「ここが良いと思うがここは気になる」
1つ1つの作品について、それぞれの審査員がどんなところを見ているか、さまざまな意見交換がなされ、各賞を決めていきます。自分とは違う意見を聞きながら改めて作品を見るというやりとりを繰り返していくことで、自分の視線が動き、見え方や感じ方が変わっていきました。そのプロセスは面白くよりじっくりと作品を見ることができました。
すばらしい作品とは、どういうものなんでしょうか。
さまざまなつくり方の作品があり、質の良いもの(良い作品だなと感じたもの)も多くありましたが、ずば抜けたものは少なかったように感じました。ただ単に、技術が優れているから良い作品であるということではありません。作品をつくるということは、作者が自分以外の媒体を用いて、自分の見たものや感じたものを出力する行為であり、自分の分身をつくるということだと思っています。
また、作品を見せる/伝えるためには、つくりあげたものに付属する額縁やタイトルも重要な要素になっていきます。作品をつくり終えた後、作者はその作品の最初の鑑賞者となって、一番良く見える工夫や、意図を匂わせるような仕掛けをする必要があると思います。つくって終わりにせず、「つくると「見る」を繰り返してこそ、良い作品ができるのではないでしょうか。
作者の考えや感じたものをすべて見る/理解するのはとても難しいことですが、見る側である私たちは、作品を前にして、どうにかその見えない部分(作者が表現したいもの)を見ようとします。今回、受賞した作品たちは、技術もさることながら、その見えない部分の引力が評価されたものだと思います。
審査会を終えて、自分の分身を一生懸命に、こんなにもたくさんの人がつくっているという事実に感動しました。作品を通して約100通りの考えや感じ方に出会えたことを、とても嬉しく思います。
数え切れないほどの情報や新しいものとの出会いをやり過ごして生きている現代社会において、誰かの考え方や感じ方に出会うタイミングは、あまり多くありません。作品をつくるということ、作品を見るということは、とても貴重な時間であるのだと改めて考える機会となりました。