萱アートコンペ2021 審査講評
松本直樹
2020/10/16
また、全体の作品傾向として、「ねこ」と「室内」というモチーフが多く、現在の「機運」ともいうべきものが、それぞれの作家にこのモチーフを要請していったものなのかしら、と興味深く観させていただきました。
さて、個々の作品については、大賞である《ミントな夜》(肥沼義幸氏)は、憂いた瞳が印象的な絵ですが、「イラスト」という非常に大きなカテゴリに飲み込まれそうになりながらも、どうしてもはみ出してしまう‘余剰さ’がある作品で、この意味で、未だ“絵画”である、という緊張感を持っています。これは優秀賞の豊田玉之介氏の作品にも同様にいえること――つまり「イラスト」や、あるいは「先行例」への‘回収されきれ無さ’からくる魅力ではないか、と考えています。
佐藤未瑛氏の作品は、小作品ながら絵画の多層性に挑んでおり、色彩や、質的に異なる絵具の扱いによって、画面に奥行きや広がりなどを感じました。また、ささきりょうた氏の作品も、黒のみで仕上げられているものの、非常に大きなスケールを感じました。のちに聞いた話しによると、ささき氏は音楽家である、とのこと。なるほど「音楽」にスケールはありますが、いわゆるサイズはありません。
そして、藤木光明氏の《Punga Mare》シリーズは、一見、リジットな図形と、不定形な図形とが織りなす装飾のようにも見えます。しかし、この2つの「図」が拮坑し、その緊張関係によって第三項的イリュージョンがたち現れるのです。図が、もう一方の図により解体され、あるいは再編成されるという、いわば画面上で展開される「図同士の格闘技」といった印象を受けました。
加えて、鐘翊綺氏の作品の、官能的な有機形態と、マットな墨ベタの静かさ、浮遊するような視点によって得られている「SF(スペキュレイティブ・フィクション)」風味のある画面が印象に残っています。
最後に、残念ながら入賞には至りませんでしたが、轟茂明氏の作品からは、この時勢の不穏さや皮肉めいたものを「絵に落とし込む」という意気込みを感じ、次回も期待したいと思っています。
萱アートコンペ2020 審査講評
松本直樹
2020/09/10
まず、疋田義明氏の作品に対する大賞という評価については、本コンペにおいて、続けての2度目の受賞となりましたが、(その作品の「重厚さ」からも)こうしたある種のハンデを、軽く超えるものがあったように感じています(疋田氏には後続のためにも、以後このコンペから、はやく、遠く、そして何より高く、羽ばたいて欲しいと考えてます)。
また、小林大悟氏の、溶け合う1対のペンギンを描いた《ごきげんなつがい》は、その脱力具合とは裏腹に、福沢一郎の《牛》を思わせ(それは、単に構図や色の相似性からだけではなく、《牛》にはない、画面に擦りつけられた黒く光るピグメントの荒々しさからも、感じられました)、非常に深く印象に残っています。
さらに、⼭川知也氏は、カットアップし、貼り合わせた紙の支持体(ここには紙製糸巻き[?]なども貼り付けられている)へ、(ある種「一般的な」言い方をすれば)繊細で抽象的イメージと、具体的なイメージとを描いています。ただし、その「具体的なイメージ」が、いささか短絡的に選択されているように感じたことも否めません。とはいえ、スリリングで、かつ繊細な氏の仕事は、もっと観たいと思わせるものでありました。
長雪恵氏の、シナベニヤと彫刻刀と思われる軽やかな浅彫りのレリーフは、木版の原板を思わせると同時に、刷り上げられた版画でもあるような、既存の技法やジャンルの分別を、軽妙に逸脱していく力を感じました。
今回も多くの(語弊を恐れずいえば)いわゆる「クラフト系作品」と形容されるような作品群がありましたが、あらためて「アート」と名指されるのではあれば、こうした既存のジャンルの分別などから、醒めて、溢れ、さらにこぼれ落ちてしまったものを掬い上げるというのも、この小作品という規定のみが設けられた本コンペの使命だと感じています。
最後に、惜しくも受賞を逃した⼾塚利⼆氏の1枚のOSBを構成する木片の重なりから、まるでボナールが描くようなイメージをつむぎだした作品、加えて入選には至りませんでしたが、もう少しでクラフトというジャンルから溢れてしまいそうな、Mool氏の《our earth》も、深く印象に残ったことを記しておきます。
萱アートコンペ2019 審査講評
松本直樹
2019/09/07